食の記憶5 ー親父もおだてりゃ木にのぼるー

 ある主婦同士の会話。blog-s05.jpg
「昨日の夜御飯はうちの人がつくってくれてー、」
「アラー、羨ましいわー。うちなんかお茶も自分で入れたこと無いのよー。」 
 サラリーマン同士の会話に置き換えると、
「昨日の夕飯はうちの妻が作ってくれてさあ、」
「エッ、奥さん普段作ってくれないの?」
 私の想像の会話ですが、こういう場合おそらく男女で返ってくる反応は随分違うのではないかと思います。今時男子厨房に入らずもなにも無いですが、まだまだ料理は女性が作るものというイメージは根強いです。そのぶん、男性が料理すると褒められてお得です。 豚もおだてりゃ木に登る、親父もおだてりゃ料理する。
 私の父は同じ世代の多くの男性と同じように、料理なんか一切しませんでした。ところが、会社を定年退職して暇になったとき、母に薦められ、料理教室に行くようになりました。母は、自分が先に死んでも一人で何でもできるように、と思ったのでしょう。
 やってみると以外に面白かったらしく、(母の褒めちぎり作戦の成果ともいえます。)最近では簡単な料理ですが色々作れるようになっています。男の料理は豪快なイメージがありますが、父の料理はまったく逆で、科学実験のように調味料の計量や野菜などの茹で時間がきちっとしています。銀行員だったせいか、数字にはえらく正確です。そのお陰でいつも教科書通りの、安定した美味しさを誇っています。
 父が料理をするようになって、しめしめと母はほくそ笑んだことでしょうが、一番美味しい思いをしたのは母方の祖母かもしれません。祖母はもう他界しましたが、最期の頃、入院中に、病人の世話に忙しい母に代わって、よく父がおかずにごま和えや酢の物を作ってあげていました。父の作るものは何故かすべてマイルドな味わいなので、病人にはとても合っていたのでしょう。病院の食事が嫌いだった祖母は、婿の料理をとても喜んで食べていました。
 そういえば、料理とまではいえませんが、私が小さな頃、高熱を出し寝込んでいたとき、父が林檎ジュースを作ってくれたことがあります。林檎をすり下ろして丁寧にガーゼで漉した林檎ジュースは、紙パックや缶の物と違い、透明な琥珀色で、とてもすっきりとしていて美味しかったのを覚えています。
 父のこのような丁寧な仕事ぶり、よく考えると父の父、私の祖父から遺伝ではないかというふしがあります。
 小さな頃、父方の祖父が作ったみそ汁を飲んだことがありました。当時、祖母が体調を崩していて、母に連れられお見舞いに行ったときです。病気の祖母に作ったのでしょう。祖父が料理するなんて珍しいので、鍋に残ったものを少し食べさせてもらいました。意外にも(失礼?)美味しく、椎茸や煮干しや昆布をふんだんに使って出汁をとっていて、すごく旨味がありました。
 こう考えてみると、男の料理は、いざというときに大変威力を発揮する、病人に優しい料理である、と言えるかもしれません。わが家の場合は。
 そして残念ながら、丁寧な仕事ぶりのほうは娘には遺伝していないようです・・・。

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食の記憶 4 ールビー色のジュースー

前回書いた友人と行ったトルコ旅行で、地中海沿岸のシリフケという町にも行きました。シリフケは、キプロス島へ行くフェリーが発着します。キプロスに行った私達は、帰りにシリフケの町に立ち寄りました。その日にイスタンブールに戻る夜行バスに乗る予定でしたが、バスの出発時間まで、たっぷりとあったので、ここの見所の城塞跡を見に行くことにしました。城塞跡の様な所はトルコはそこら中にあるので、何となく飽き飽きしていたものの、着いてみると、丘の上にあるその城塞跡はとても見晴らしが良く、海からの風が清々しい場所でした。ちょうど日が傾いてきた時間帯で、ここで夕日を見ようと城壁によじのぼりました。はるか下の方に、家路に向かう羊飼いと子供達がいるのが見えました。私達は手を振り、口笛を吹いてみました。子供達も手を振り返し、ピーッと口笛を返してきました。だんだん太陽が落ちてきて、景色が暖かい色に染まってゆきました。そうして羊飼い達が見えなくなるまで、無邪気に手を振っていました。それだけのことですが、とても楽しく、穏やかで美しい思い出です。

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バスターミナルの近くまで戻ってきた頃には、とてもお腹が空いていました。私達は近くの食堂に入りました。気に入りのチキンケバブをたのみました。店では斜め後ろの席におじさんが座っていて、一人で飲んだくれていました。酔っ払って、私たちに何やら言ってきます。意味はまったく分からなかったものの、何か嫌なことを言っている感じがしました。腹が立って店を出ようとしましたが、ケバブの焼ける良いにおい。空腹には勝てず、オヤジは我慢することにしました。城塞でのさわやかな旅気分をすっかり害され、むくれてケバブを食べるはめに。お店の人が何とかオヤジを言いくるめ、出て行き、やっと落ち着いて食事することができました。そんなことはありましたが、ケバブは良い焼け具合で、付け合わせのサラダもたっぷりあって良いお店でした。店の主人が、さっきのお詫びにと、ジュースをサービスしてくれました。赤い色をした澄んだジュース、私達が旅行中好きでよく飲んでいたさくらんぼジュースです。ラッキー、ぐいっと勢いよく飲んだ瞬間、頭の中がパニック状態におちいりました。Kも目を白黒させていました。それは甘く、少し酸味があって疲れのとれる美味しいさくらんぼジュース・・・とは似ても似つかぬ、しょっぱく少し青臭いナゾの液体だったのです。店の主人はこれは目にすごくいいんだ、と自信満々。「ブ・ネ?」(これは何ですか)と聞くと、店の主人は、厨房に行き、瓶詰めをもってきました。中には、例の赤い液体と赤蕪のような野菜が。それは漬け物の汁だったのでした。せっかくの心配りだったけれど、がんばって半分がやっとでした。
 その後イスタンブールでも、屋台で漬け物汁を見かけました。メジャーな健康ドリンクのようです。高血圧になりそうだけれど、ビタミンは豊富な気がします。気候には合った飲み物なんですね、きっと。
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食の記憶 3 ー蜂蜜漬けのそうめんー

大学生の頃、アラビアンナイトを読んでいたとき、数多い物語の中の、ひとつの物語登場人物のセリフに目が点になりました。それは、アラジンと魔法のランプのような有名な物語ではなく、話の内容もよく思い出せないのですが、その物語の中のある貧しいおばあさんが、切なくつぶやいたことばでした。「わたしゃ一度でいいから蜂蜜漬けのそうめんがたべたいよう」(このセリフも記憶が確かなものではありませんが。)そうめん?あの夏に食べるつるつると冷たい麺が蜂蜜に・・・。葛きりのようなものだろうか。気になりつつも、特に調べることもしませんでした。

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何年後かに、大学卒業旅行として、仲の良かった友達と二人で、トルコに旅行に行きました。一ヶ月くらいかけて、トルコをぐるっとまわる旅です。イスタンブールから入って、地中海のリゾート地や、きのこの形の巨岩で有名なカッパドキアを観光して、東のほう、シリアに近いシャンルウルファという、エキゾチックな響きの名前の古い町にたどり着きました。ウルファには美しいモスクと、迷路のような面白いバザールがあります。シリアに近いので、ヨーロッパ側のイスタンブールとは雰囲気が異なり、アラブ色が濃く、黒い衣装にすっぽりと身を隠したイスラムの女性をよく見かけました。街を歩いていたとき、旅の相棒、大の甘いもの好きKの甘党アンテナにひっかかったお店がありました。そこは、カダユフというデザートの専門店でした。中に入り注文すると、金属の薄くて丸い皿に入った、麺の細いかた焼きそばみたいなものが出てきました。フォークで崩して口にすると、ほんわかと温かく、パリパリとした麺に、トロッとチーズがはさまっていて、全体が濃厚な蜜に浸り、ぐぐっとくる甘さ。この麺のお菓子、これはまさしく、あの切なくなるほどおばあさんが食べたいと願ったお菓子、「蜂蜜漬け素麺」ではないか・・・。麺の細さもまさに素麺そのもの。ボリューム感があり、パワフルな甘さなので、半分くらい甘党隊長Kに食べてもらいましたが、とても香ばしく美味しいものでした。トルコで食べたので、アラビアンナイトとは少し違うかもしれませんが、アラブ色の強い街であることを考えると、「蜂蜜漬けそうめん」は、こんな感じのお菓子であると思われます。
 トルコでは、他でも色々なお菓子を食べました。気に入ったのは、アシュレというナッツと麦のお汁粉のようなものと、スゥトラッチというライスプディング。アシュレは、ナッツ好きの私としては、たまらない一品。スゥトラッチは、米の粒々は無く、トロリとクリーミー。上が少し焦がしてあって、これがまた美味しい。アラビアンナイトのおあばさんではないけれど、「わたしゃ蜂蜜漬けも素麺とアシュレとスゥトラッチがもう一度たべたいよう・・・。」

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食の記憶 2 ーライスボールー

小学校2年生のとき、父の転勤でインドネシアに住むことになりました。転校するにあたり、日本人学校にするか、インターナショナルスクールにするかを、選ぶことになりました。私は簡単に、クーラーが付いているという理由で、インターナショナルスクールにしました。引っ込み思案な私が、インターを選ぶとは両親にとっては、意外だったようです。英語なんかまったくできないのに、涼しいほうを優先したとは、のんきなものです。

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インターナショナルスクールの初日、お昼の時間のことです。昼休みは、生徒達は涼しい教室を出され、何故か外の通路に一列になって地べたに座って昼食を食べていました。私もその中に混じって、座りました。皆、めいめいランチボックスという持ち手付きのプラスチックのケースから、サンドイッチを出して食べ始めました。私も、自分のお弁当箱を開け、母の作った卵ふりかけのおむすびを取り出しました。そのとたん、同級生の男の子が、「ライスボール!」と叫びました。「ライスボール!ライスボール!」周りじゅうの子供達が、騒ぎだし、わたしのおむすびを取り上げて投げ合う始末。訳が分からず、ぶったまげた私。いじめるつもりはなく、ただ珍しくて面白がっていただけでしたが、私はその日から、怖くてお弁当箱を開けられなくなってしまいました。毎日お弁当に少しも手を付けてないことを母もいぶかりました。問いつめられ、母も事情を理解し、それからお弁当はみんなと同じサンドイッチに。学校生活にも慣れてくると、学校のカフェテリアも利用したりして、結構気ままに楽しんでいました。カフェテリアでは、いくつかのメニューから好きに選んで食べられ、マカロニ&チーズなどという茹でたマカロニにチーズをからめているだけという、余り品の良いとは言えないものを好んで食べていました。最近になって、アメリカで学校の先生をしていた友達のお母さんに、アメリカでもおむすびをもっていくと、大抵「ライスボール!」の、洗礼を受けると聞きました。皆通る道なんですね。
 学校は、アメリカからアラブまで、様々な国の子供達がいましたが、欧米の子供達のお弁当は、ピーナツバターとジャムのサンドイッチとリンゴやスナック菓子が、ランチボックスに放り込んでいるだけ、という簡単なものが多かったと思います。ジャムのことをジェリーと言っていたので、私はサンドイッチにゼリーが入っているものと思い、変なもの食べるなあと思っていました。
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食の記憶 1 ーにぎりずしー

うつわは料理を盛るためにあるもの。私が器作りを始めたのも、美味しいもの好きだということが大きいかもしれません。そのせいか、何でもすぐに忘れてしまうくせに、美味しかったことだけは、執念深く覚えているのです。特に、幼い頃初めて食べて美味しかったときの感動は、心に鮮烈に印象づけられています。そんな「食の記憶」を、色々な思い出もまじえて、書き綴ってみたいと思います。 

ーにぎりずしー
日本料理の中でも、特にシンプルで、素材の味を生かした他国に類を見ない、すばらしい料理、すし。ネタの新鮮さは勿論ですが、酢飯の酢加減、握り具合、すべてのバランスが整ってこそ、うまいすしとなるのでしょう。とはいえ、私自身は、懐具合の関係上、すしを語れるほどは食べられず、説得力のあることは言えないので、ぼろが出る前にこの辺で止めておきます。私が初めてちゃんとしたにぎりずしを食べたのは、確か小学校2,3年の頃で、それまでは手巻きずし専門でした。一番の気に入りはイクラ。小食だった私は、一、二本食べればお腹いっぱいでした。大人がにぎりずしを美味しそうに食べていても、特に食べてみたいとも思わず、なぜか子供は手巻き、にぎりは大人のもの、と思いこんでいたようです。ぷちぷちとした、オレンジ色のいくらの手巻きずしで大満足だったのです。ある時、祖父母と両親と兄とで、神田にある美味しいすし屋に行きました。カウンターだけのうなぎの寝床の様な小さな店でした。私は気に入りのイクラの手巻きを食べながら、板さんがリズム良くすしを握るのをぼーっと見ていました。祖父がふと、「まいこ、お前も食べてみろ」と、自分のまぐろのすしを、わさびをぬぐい取って私に差し出しました。ちょっとおっかなびっくり、どきどきしながら口にいれてみました。初めて食べるまぐろのにぎり。それはびっくりするほど美味しかったのです。何で今まで手巻きずしばかりしか食べていなかったのだろう・・・。私にとって、初めての大人の味でした。両親は、内心しまった・・・と思っていたかもしれませんが。その後、神田にある、その店とは別の、でかネタで評判の寿司屋に母と行きましたが、初めて食べたまぐろの鮮烈な美味しさにはかないませんでした。初めての強烈さもあるでしょうが、良いお寿司屋さんだったのでしょう。

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私にまぐろのにぎりを教えてくれた祖父は、私が小学校5年生の冬、東京に大雪の降った日に癌で亡くなりました。いつも面白いことばかり言って、私たちを笑わせてくれた優しい祖父が大好きでした。にもかかわらず、訃報を聞いたときは、涙ひとつ出ず、病院で遺体に対面したときも、目をつぶり、痩せて、人形のように横たわっている祖父が、いつものおちゃらけた祖父と余りにも違っていて、今ひとつ実感がわきませんでした。悲しみの雰囲気の中、いま一つぴんとこない自分が、何だか自分が薄情者に思えました。誰かが用意してくれていた出前のおすしを、お腹が空いただろうからと、親戚が勧めてくれました。さすがに、皆ものを食べる気にはならなかったようで、殆ど残っていました。私も余り気は進みませんでしたが、悪い気がして、その置きっぱなしで少し乾いた感じのする寿司の中から一番無難そうな卵を手に取りました。口に入れ、卵の甘みを感じた瞬間でした。何の前触れもなく、急に嗚咽がこみ上げてきました。涙で目の前がぼやけて病室が水の中のようになりました。こみあげる嗚咽で、口の中の卵寿司を噛飲み込むこともできず、吐き出すこともできず、にっちもさっちもいかない状態になってしまいました。しばらくそんなふうに、口をぐちゃぐちゃしながら、格好悪く泣いていたのでした。何かものを食べることによって、私の中で現実感が増したのか、ほっとしたのかよく分かりませんが、食べることは、空腹を満たしたり、味わう楽しみいがいにも、人間に不思議な作用をするようです。
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